風呂屋の湯女は大人気

家康が江戸に幕府を置き街づくりを始めた当初は、まだ上水道がなく、風呂を沸かす習慣はありませんでした。汚れた体を洗うには、川や海辺で水を浴びるしかありません。1614年に神田上水が完成すると、街に風呂屋が誕生します。当時、内風呂は武家屋敷にしかつくることが許されていませんでしたので、庶民が風呂に入るためには、風呂屋に行くしかありません。

建設労働に携わる人たちは、汚れた体を洗い流すのに風呂を愛用しました。そのため、風呂屋は大繁盛します。繁盛した風呂屋の中には、遊女屋化するところも現れました。

【下級武士から庶民まで、裸の付き合いのできる社交場】

江戸時代の風呂屋は、二階建てになっており、一階が脱衣所と湯船、二階は大広間になっていました。湯船からあがった客は、二階の大広間で酒を飲んだり食事をとったりすることもできます。洗い場には背中を流す女性がいて、 客の求めに応じて体を洗ったり髪を洗ったりしていました。当時はすべて混浴で、女性も一緒に湯船につかりますので、接客係の女性が洗い場で男性の背中を流すことは、大げさなことではありません。

二階の大広間にも接客係がいて、食事や酒を提供していました。風呂屋には下級武士から建設労働者まで、身分の異なるものが集まりますが、裸になってしまえば身分差は関係ありません。わきあいあいとした社交場として、風呂屋は大人気となりました。

【次第にエッチなサービスを提供する風呂屋できます】

性欲をためた裸の男が大勢いて、体を洗ってくれる女性がいれば、性欲を発散したくなるのは当然のことです。次第に、そうした欲求にこたえる店も現れます。昼は普通の風呂屋として営業し、夜は特別サービスを提供する風呂屋に変わりました。

大広間はふすまや屏風で個室に仕切られ、湯から上がった客はそこで接待を受けます。飲食とともに、性行為もできるようになりました。風呂屋の遊女は「湯女」(ゆな)と呼ばれます。銭湯の入浴料金は平均すると8文程度で、湯女の値段は500文から1000文です。庶民が利用していたものですので、現在の価値にすると、風呂の入浴料はおそらく200円程度、湯女は1万円~2万円程度ではないでしょうか。吉原の一番下のクラスの料金と同程度です。

江戸に上水道ができると、風呂屋が大繁盛するようになります。多くの男性が風呂屋に集まるようになると、性的サービスを提供する店も現れました。風呂屋の「湯女」は大人気となりました。