吉原で働く遊女たち

吉原の遊女たちは、27才くらいになると「定年」でした。このくらいの歳を過ぎると仕事がなくなり、引退するしかなくなります。定年になるまでに、運良く客と結ばれてその女房におさまることができればラッキーですが、そうでない者の多くは、町に出て私娼として商売するしかありませんでした。頭が良く気のつく女性は、遊女屋の裏方として残ることもできました。

毎年何人かの遊女が引退するので、経営者は常に新たな人材を確保しなければなりません。多くは十才前後から吉原で働き始めます。

【農村部から買い集められる遊女予備軍】

吉原には、自分から身を売りにくる女性もいました。未経験者もいれば、ほかの地区で遊女として働いていた者もいます。これらはそれほど多くはなく、メインになるのは「女衒」(ぜげん)と呼ばれる仲介人からの仕入れです。女衒は地方の農村部などをまわって遊女の予備軍を買ってきます。人身売買は違法行為でしたが、「年季奉公」などの名目で法をすり抜けていました。

売られる娘たちの多くは10才以下で、貧しい農村部では娘を売ることが非難されることはなく、むしろ、同情され、「孝行娘」と評価されました。価格は江戸中期で5両から20両といわれ、娘の器量によって変わりました。女衒は遊女屋に30両から50両で売っていたそうです。10才で売られても、娘たちが実際に客をとるようになるのは17才になってからです。

【遊女たちの修行】

10才以下で吉原に入った娘は「禿」(かむろ)と呼ばれ、遊女の付き人として身の回りの雑用を手伝います。禿のコストは遊女が自費でもつため、上級遊女だけが禿をかかえることができました。娘たちは禿をしながら吉原のしきたりを覚え、さまざまな稽古ごとを習い、客とのやり取りを学びます。美形で頭のよい禿は経営者(楼主)にかわいがられ、お姫様のように育てられます。

禿は15才になると、「新造」(しんぞ)と呼ばれるようになり、上下にランク分けされます。上は「振袖新造」、下が「留袖新造」で衣装が異なります。「振袖新造」は器量がよく頭の良い娘だけがなれるエリートです。振袖新造はまだ客をとりませんが、留袖新造は客をとり始めます。

「新造」にはもう一種類あり「番頭新造」と呼ばれました。遊女を定年退職した者の中から、上級遊女の世話役として見世に残った者たちです。

毎年吉原に新たに入る遊女予備軍たちの多くは、農村部から金で買われてきた子供たちでした。10才以下で吉原に入り15才から17才まで見習いとして働き、遊女としてデビューするのでした。