吉原一の遊女・高尾太夫とは?

たくましい女達の生き様が見られる吉原の世界。そこで働く女性たちにも階級が存在しました。いわゆる「花魁」「太夫」と呼ばれる最上位クラスの遊女となると、普通の庶民や下級武士では相手にされないほど、格式が高かったといわれます。

最上位の花魁の中でも、ナンバーワン遊女には代々「高尾太夫」という名が冠せられました。吉原300年の歴史において、何人もの伝説の高尾太夫を生み出しましたが、どのエピソードも痛快で華やか。ここでは、3人の高尾太夫を紹介し、その魅力に迫ります。

【出産が許された初代高尾太夫】

初代の高尾太夫は、その美貌・芸のレベル・客扱いと、どれをとっても一級品で日本史上最高の呼び声高い遊女といわれます。そんな優れた存在であったため、店側も格別の待遇をもって接したことでしょう。

高尾太夫は、唯一出産が許された遊女としても有名です。吉原の掟として、客との間にできた子どもは中絶・堕胎するのが当たり前。しかし、初代の高尾太夫にのみ例外が適用され、産んだ子どもと一緒に花魁道中を華やかに闊歩したという逸話も伝わります。

鉄の掟を破って子どもを産んだという事実だけでも、初代高尾太夫がいかに凄い遊女だったかが分かると思います。まさに初代を飾るにふさわしい高尾太夫といえるでしょう。

【史上最高額で身請けされた6代目高尾太夫】

吉原の遊女にとって、その世界から抜け出す方法は2つ。一つは、借金を完済すること。もう一つは、高い身分の男性客に見初められ、結婚退職すること。いわゆる身請けというものです。

6代目高尾太夫は、史上最高額の身請け額をはじき出したことで知られる遊女です。相手は播州姫路藩15万石の藩主・榊原政岑(さかきばら まさみね)。気になる身請け総額は6000両。今の貨幣価値でいうと約4億8000万円。ちなみに高尾太夫はこのとき19歳であったといわれます。十代にして億万長者の家に引き取られたのですから、立派なシンデレラストーリーといえるでしょう。

しかし、夫の榊原政岑の吉原での豪遊が幕府に問題視され、越後高田藩に転封処分となります。高尾も一緒に高田へ移り、不遇の夫を支えました。彼女が生涯幸せだったかどうか分かりませんが、遊女という立場で大名の正室まで上りつめたのですから、まさに伝説の太夫といっていいでしょう。

【二人の職人を手玉にとった5代目高尾太夫】

最後に紹介するのが、5代目高尾太夫。一説によるとこちらが6代目高尾ともいわれます。5代目高尾に、心底惚れた男性がいました。彼は、神田紺屋の染め職人の久蔵。花魁道中の5代目に一目惚れし、それから彼女に会うために仕事に邁進。丸三年働いて貯めたお金で高尾に会いに行くほど、一途な思いを募らせます。久蔵の思いに心打たれた高尾は、年季明け後に嫁ぎに行くことを約束。しかし、ふたを開ければ高尾が嫁いだのは神田お玉が池の紺屋・九郎兵衛。この話は落語「紺屋高尾」の題材になるほど有名です。

ここで紹介したのはほんの一部で、他にもたくさんの有名高尾太夫が存在します。吉原では、その時の人気ナンバーワンの花魁に高尾太夫を襲名させるしきたりがあり、何人の高尾が輩出されたのかは諸説あります。ともあれ、それぞれの高尾太夫の存在は、吉原300年の歴史に偉大な足跡を残してきたといっていいでしょう。