吉原では武士がバカにされた?吉原に集う男達の身分と実情

吉原の主役は、もちろん遊女。豪華絢爛な衣装に身を包んでお供を引き連れ、道中を練り歩く花魁や太夫などにスポットが当たるのはいうまでもありません。しかし、彼女たちを買ってくれるお客がいなければ、吉原の商売が成り立たなかったのも事実。吉原には、どんな身分の客が集まったのか?意外と知られていない吉原の客層について説明します。

【遊女たちに人気なのは商人】

吉原の遊郭に集う遊客も、武士や町人、百姓、職人、商人、とその身分はさまざまでした。その中でも、遊女たちに人気のあったのは、比較的裕福な商人であったとされます。これは単純に、お金をたくさん落としてくれる上客だからという、あまり風情じゃない理由によるもの。今の時代も、キャバクラでモテるのは大金を握りしめてやって来る年輩の社長や、役員クラスのお歴々などです。金の力がモノをいうのはいつの時代もかわりません。

その中でも有名なのが、木材商人として巨万の富を築いた紀伊國屋文左衛門でしょう。20代の頃、紀州ミカンや塩鮭の投機で財を築き上げたといわれるこの天才商人は、江戸幕府の側用人である柳沢𠮷保とも関係の深かった実力者です。八丁堀に広大な豪邸を構え、優雅な生活を満喫しました。吉原での豪遊にまつわる逸話はことのほか有名で、まさに「夜の帝王」の名にふさわしい豪商でした。

【バカにされた武士】

「士農工商」という言葉を歴史の授業で習った私たちは、とかく江戸時代は特権階級である武士たちが威張り散らしたというイメージを持ちがちです。しかし、江戸時代の武士は米を給料としてもらう石高制で、貨幣経済で潤う商人たちには年収の面で全く歯が立ちませんでした。もちろん大名や旗本といった裕福な身分は別として、多くの下級武士は困窮を極めた生活を送ったといわれます。

吉原の世界では、武士や商人などの職業・身分は関係なく、とにかくお金を持っている人間が幅をきかせました。商人のほうが武士より稼いでいるので、身分に関係なく吉原では商人が重宝されます。武士は大切にされないばかりか、嘲笑の対象にもされ、「人は武士 なぜ傾城(けいせい)に嫌がられる」という川柳が流行ったほどです。傾城とは、城を傾かせる美女という意味で、遊女を指します。そんな陰口を叩かれる武士は編笠で顔を隠したて遊郭に通ったといわれます。何とも世知辛い世の中だったんですね。

【背景には、遊女達の悲しい現実】

「吉原では、お金持ちの商人が優遇され、貧窮の武士たちはバカにされた」というと、まるで遊女たちが守銭奴みたいであまりいいイメージを持たれないかもしれません。しかし、吉原に囲われた遊女たちは、お金に執着するのも無理はないほど、辛く悲しい現実を生きていたのです。

吉原には、全国の貧しい家からあどけない少女たちが身売りされてやってきました。彼女たちは、親の借金を完済しないことにはその過酷な境遇から抜け出せません。右も左も分からない十代の頃から厳しい芸事をたたき込まれ、大人の色香を身に付けた頃には、宴会座敷に呼ばれてお客と床を並べるのです。もちろん、好き好んで遊女の仕事をしている女性はいなかったでしょう。1日でも早く借金を返して普通の女性に戻ることが彼女たちの夢だったのです。

その夢を実現するには、お金持ちの客に引き取られる「身請け」が一番の近道でした。借金も完済して、玉の輿にものれます。遊女たちが身分や男気より客の財力を優先するのは、こうした哀しい事情があったことも見逃せません。