銭湯はみんな混浴だった!?

現代では、家庭に風呂があるのは普通のことですし、ホテルや旅館にバスルームや浴場があるのも当たり前ですが、江戸時代には家庭にも宿屋にも風呂がないのが普通でした。また、「風呂」と聞けば、現代の私たちは「湯船」をイメージしますが、江戸時代以前の風呂にはめったに湯船はありませんでした。昔の風呂はほとんどが蒸気風呂です。大量に湯を沸かすのはとても大変だったので、江戸の半ばころまではサウナ風呂が普通でした。湯気で体を暖めつつ、手拭いで擦って垢を落としました。今とはずいぶん異なっていたのです。。

もうひとつ、現代と大きく違っていることがあります。実は、銭湯は混浴だったのです。男と女が裸の付き合いをするのが、お風呂でした。

【江戸時代に銭湯が大流行!?】

徳川家康が江戸に幕府を作ったことにより、17世紀の初めには全国から建設作業員が江戸に集まります。土と埃にまみれた仕事をするため、作業員たちは一日の終わりに風呂屋へ向かいました。そのため、江戸で風呂屋が大流行したのです。それ以前のわが国では、たまにしか風呂には入りませんでしたが、江戸時代以降、日常習慣化していきました。。

江戸に土木作業員が集中したため、人口は圧倒的に男性が多く、風呂は基本的には男のもの。「女湯」というものはありませんでした。そのため、女性も男たちと一緒に入ることになります。江戸の風呂は混浴が当たり前だったのです。もちろん、「事故」もしばしば起こりました。射精をともなう事故です。。

【混浴だからこその楽しいアクシデントがあった!?】

男も女も一緒に風呂に入るわけですが、素っ裸ではありませんでした。男はフンドシいっちょうで、女は腰巻きをして入ります。アソコを洗うときには横から手を入れます。女性はおっぱいをポロンと出したままですが、この時代、女性の乳房は隠すものではありませんので決して珍しくはありませんでした。むしろ、腰巻きのすきまから覗く黒い部分に、男たちの視線は釘付けです。。

フンドシいっちょうですので、興奮すれば前の膨らみがはっきりとわかり、女たちも勃起に目がいってしまいます。「洗ってあげようか?」「それはありがたい」といった会話から、風呂の片隅で挿入してしまうといったこともよくあったようです。そのため、しばしば、幕府から「混浴禁止」のお触れが出されたそうてす。。

【湯船ができて男女が分かれてもやっぱり覗ける!?】

江戸時代も中期になると、湯船を備えた風呂屋ができはじめました。幕府の指示もあり男女別々の入り口と脱衣場、洗い場が設けられましたが、

湯船だけはひとつです。一応、風呂桶の上部に仕切り板がわたされていますが、湯船にもぐれは女性たちのアソコがばっちり見えます。プールのようにもぐれば男湯から女湯へと渡れてしまうため、やはり「事故」は起こりました。。

江戸時代の風呂屋は基本的には混浴でした。みんなが、裸の付き合いをして、時にはセックスも楽しんだのです。