岡場所と何か?

江戸時代の初めに、幕府公認の唯一の遊女屋として認可を受けたのが吉原。堀で囲まれた2万坪の土地の中でだけ、遊女屋は営業を認められていました。元吉原ができたころには、風呂屋に「湯女」(ゆな)と呼ばれる遊女がいて、風呂に入りに来た客に性的サービスを提供していましたが、新吉原に移転した際、幕府が大がかりな摘発をして湯女を一掃しました。

こうした商売の常で、摘発され壊滅されても、また雨後の筍のように生まれてきます。さまざまな未公認の色里が生まれ、これらは総称して「岡場所」と呼ばれました。

【さまざまな岡場所】

幕府の取り締まりの後、しばらくの間は吉原以外には遊女屋はなくなりましたが、また形を変えて新たな遊女屋が誕生します。一旦はなくなった風呂屋の「湯女」は、ほとぼりがさめるとまた流行しました。江戸の街の建設に伴い建築労働者が街にあふれ、仕事の後には銭湯が流行ります。当時の労働者は勃起力アップのためにヒキガエルやイモリなどを食べていたそうです。効き目もさることながら、衛生上も色々と問題がありそうなアイテムですが、そんなものを食してでも精力を強くしたかったのでしょう。念のためですが、これを読んでも決してカエルやイモリを食べてみるか、などと思わないでください。高価にもかかわらず、効果があるかどうか定かではないものです。それよりは医学的に効果が実証されているバイアグラを服用することをおすすめします。近くに営業時間が長くて使い勝手のいい専門クリニックを見つけておけば、いつでも気軽に処方してもらうことができます。

さて、岡場所に話を戻しましょう。精力あふれる男達がこぞって風呂屋に行きますが、そこでは、世話役の女性が背中を流すサービスをしてくれましす。中には当然、男性器を勃起させてしまう者もいて、エッチな雰囲気になるのは必然です。そうして、風呂屋の中に性行為の場所が設けられ、遊女屋化していきました。

江戸の改造に伴い、道路網も整備されます。日本橋を起点とする五街道が整備され、東海道、中山道、奥州街道、甲州街道、日光街道ができました。それぞれに街道には宿場町が生まれ、江戸から最初の宿場は、品川宿、板橋宿、千住宿、新宿(内藤新宿)で、これら四宿は江戸の町人たちにとっての遊び場にもなります。

宿場町にはさまざまな店が軒をつらね、茶屋や料亭もできます。これらの店は個室の食堂ですので、接客をする仲居の中には性的サービスもする女性が現れました。また、茶屋に呼ばれた芸者の中には体を売る者もあり、茶屋や料亭も遊女屋化していきました。

その他にも、夜になると一人で繁華街に立ち個人営業で客をとる娼婦も現れ、「夜鷹」と呼ばれました。こうして、吉原以外の場所に、さまざまな私娼「岡場所」ができあがりました。

吉原誕生後には、風呂屋で「湯女」が、茶屋や料亭で仲居や芸者が、繁華街で私娼が、遊女として働くようになります。幕府公認の遊郭は吉原だけであったものの、各所に岡場所ができあがりました。