花魁は弟子たちを食べさせ教育した!?

遊女たちの多くは、困窮した家庭に生まれ幼くして売られた娘たちです。その中で、容姿と知性、セックステクニックによって階級ができていきます。花魁(おいらん)はその中でも一番上のクラスに属する女性で、吉原遊郭ではもとは「太夫」(たゆう)と呼ばれていました。彼女たちは、単に遊女として客に身体を売るだけでなく、そば仕えの娘たちの生活の面倒を見たり、芸を覚えさせたり教養を身につけさせたりという教育も行なっていました。

【「おいらの姉様」がおいらんに!?】

吉原の遊女たちには、厳格に定められた身分制度、階級制度がありました。顔が美しく体もきれいで、踊りなどの芸や知性を身につけている女性ほど、また、性のテクニックにも長けたものほど、高い階級に属します。上に行けばいくほど、客の人気が高く、料金も高いことになります。最上級の女性は「太夫」と呼ばれ、後には花魁(おいらん)とも呼ばれるようになりました。

太夫には付き人がついています。10才以下の付き人は「禿」(かむろ)と呼ばれていましたが、禿(かむろ)の娘たちから「おいらの姉様」と呼ばれていたのが、変形して「おいらん」になったと言われています。逆に言えば、付き人のいない遊女は「おいらん」では決してないわけです。

【花魁(おいらん)は子どもたちの面倒を見ていた】

禿(かむろ)は10才前に買われてきた娘たち。まだ、客をとることはありませんが、花魁・太夫について勉強をする身です。花魁は何人かの禿を自分の妹分として囲い、吉原のしきたりを教えたり、読み書きなどの教養や芸事の指導をします。禿(かむろ)たちは姉さまである花魁の見の周りのお手伝いをし、代わりに暮らしの面倒を見てもらいます。つまり、禿(かむろ)たちの生活費は、花魁が自分で稼いだ金から支出するのです。

他人同士でありながら共同生活をし、家族のように扶養関係があったため、姉女郎と妹女郎との絆は極めて強かったと言われています。互いの境遇がにていることもあったでしょうし、遊郭から一歩も外にでることのできない「かごの鳥」であるという意識も影響していたでしょう。普通の社会ではありえないような人間関係が、ここでは成立していたのです。

【花魁の身分は人気によって左右された!?】

女郎たちの階級づけは、楼主(雇い主)によって決められましたが、それは客の人気が反映されます。いかに客の気を引ける遊女になれるか競いあって自分を高めていく努力が求められます。花魁・太夫であっても人気がなくなれば格下げされます。そうならないように、客を引き留めなければなりません。ときには、同じ店で二人の遊女が人気No1を争って張り合い、それが江戸中の評判になることもありました。

花魁にとっては、自分の人気が高まることは収入がアップすることであり、禿(かむろ)たちを養う力がアップすることでもあります。いかにして客を気持ちよくさせるか、満足させるかを常に研究していました。いつも元気な客ばかりなら良いのですが、ときには勃起力の弱まった客がくることもあります。今なら、バイアグラでも飲ませてしまえば良いのですが、当時はそんな薬はありません。あの手この手で勃たせることも大切なテクニックのひとつだったのです。

女郎と言えどもトップに立つのはとても大変です。努力して最上級に立てば、妹分たちを養わなければなりません。なかなか大変な仕事だったのです。