吉原遊郭を囲んだ「お歯黒どぶ」とは?

吉原という言葉にはなじみがあっても、お歯黒どぶを聞いたことがある人は少ないでしょう。吉原の周囲を張り巡らしたいわく付きの堀は、真っ黒に染められたことから、そういう呼び名が与えられました。まだまだある吉原の秘密と魅力。ここでは、お歯黒どぶについて学び、知られざる吉原の一面を覗いてみましょう。

【お歯黒どぶって?】

1657年の明暦の大火により、日本橋の葦屋町にあった吉原の遊郭は、浅草寺裏の日本堤という場所に移転されます。新しくできた吉原施設の周囲には、幅2間(3.6メートル)ほどの堀が巡らされました。この堀のことを巷では、「お歯黒どぶ」とよんでいました。

なぜお歯黒どぶという名称が付けられたのか、はっきりとしたことは分かりません。一説によると、お歯黒の汁をこの堀に捨てたことでどす黒くなったから、と言われています。また、もともとが黒い汚水に染まっていたことに由来するとの説もあります。「お歯黒どぶ」というくらいですから、表面的な汚さはもちろん、水質の汚染度も想像を絶するものがあったでしょう。

【周囲を堀で囲んだ意味】

吉原の遊郭をこのように大がかりな堀で囲んだ意味は何だったのでしょうか?さまざまな見方に別れていますが、一説には、遊女街という性質上、風紀の乱れを防止するために周囲の居住地とは一線を画す意図があったというふうにいわれています。現代においても、風俗店を設置するときは、学校施設から何キロ以上離れていなければならない、などの規則が設けられています。江戸時代でも、現代と同じような倫理感覚があったことの証といえるでしょう。

もう一つは、遊女たちの逃亡の防止。「苦界」とよばれた吉原での生活は、実家の借金のために売られてきた少女たちにとって、過酷以外の何物でもありません。中には、境遇に耐えられなくなって逃亡を企てようとする遊女もいたことでしょう。お店側からすれば、大金をはたいて買った商品ですので、たやすく逃げられては商売できません。その意味でも、周囲を巡らす大きな堀は脱走防止に一定の効果を上げたことでしょう。

その他にも、低湿地の場所への移転に伴う排水路の設置、といった見方もあります。最初の吉原である日本橋の遊郭も、低湿地に作られました。娼婦の街ということで、居住地とは縁遠い土地柄のほうが、都合がよかったのでしょう。いずれにせよ、吉原は大きなドス黒い堀に支えられて300年の歴史を築き上げることになります。

【落語や小説の名作にも登場】

お歯黒どぶは、落語や有名な小説にも描かれてきました。永井荷風の『濹東綺譚』は、墨田区の東向島あたりにあった私娼街を舞台にした小説ですが、その周辺にやはり「お歯黒どぶ」という川が流れています。吉原ではありませんが、ここも娼婦の街ということもあり、遊女文化との関係の深さがうかがえます。

また、「首ったけ」という落語のクライマックスでは、火事で燃える遊郭から逃れようと遊女たちが真っ黒などぶ堀に飛び込みます。その中の一人が、かつて懇意にしていた客を見つけて「助けて」と叫びますが、捨てられた男はそっぽを向きます。そこで遊女の口から飛び出た言葉が「(どぶ川から首だけ出した状態で)今なら首ったけよ」というわけです。

絢爛な花魁たちの周囲を巡らした真っ黒などぶ。そのコントラストもまた粋といえるではないでしょうか。