遊女たちの行く末

吉原の中では着飾り、男たちに愛され大切にされていても、結局は商売の道具です。遊郭の中では意気張りも通じ、一番偉いとされましたが、「稼いでなんぼ」の世界です。稼げない遊女の暮らしは大変でした。年に2日しか休みはなく、食事も粗末なものしかありません。ちゃんとしたものを食べたければ、稼いで自分の金で美味しいものを食べるか、客におごらせるしかありません。

さらに、着物その他、さまざまな費用もかかりました。病気や妊娠のリスクもあり、幸せな形で「卒業」するものは多くはありませんでした。

【経費も自前のためお金がかかりました】

着る物や帯、化粧品など身を飾る道具はすべて自前でそろえなければなりませんでした。美しく着飾れば客がつく可能性が高まりますので、お金はかけざるを得ません。そのためには、見世から借金をします。もともと買われてきた身ですので、数十両の金を見世に返さなければならないうえに、衣装代その他も借りることになるので、大変です。

17、17才から27、28才くらいまでの10年間が遊女の賞味期限です。その間に身を売った代金(身代金)を返し、経費も払わなければならないので、馬車馬のように働くことになります。お金持ちがひいきにしてくれるような上級遊女は一握りのため、多くの遊女は手練手管を駆使して客からお金をいただくことに精を出すしかありません。

【遊女の生末は明るくはない】

遊女が吉原を抜けるには3つの方法しかありません。ひとつは、借金をすべて返し終えて「年明き」して足を洗うとき。2つ目は、気に入ってくれた金持ちの客に買い取ってもらう「身請け」。3つ目は死です。28才で「年明き」で見世から出た遊女たちには、恋愛をした客と結婚する者もいれば、吉原以外の遊女屋にいくものもいました。

遊女には性感染症にかかるものが多数いましたし、妊娠する者も大勢いました。梅毒にかかり死んでしまうものも、妊娠中絶の失敗で亡くなる者もいました。末期症状の梅毒患者は、生きたまま投げ込み寺に捨てられたそうです。中絶できずに出産する遊女もいて、その場合、女の子なら遊女の予備軍として育てられ、男の子なら「若い衆」予備軍として育てられました。生まれた時から「吉原」にいた、という遊女もいたことになります。

吉原の遊女たちは多額の借金を返済しつつ、身の回りの品をそろえるためのコストもかかり、馬車馬のように働き続けるしかありません。その間に、性病や妊娠のリスクもあり、幸福な形で「年明き」したり、身請けされて卒業していく者は、それほど多くはありませんでした。