教育システムが吉原を特別な場所にした!?

禿(かむろ)というのは、10才以下で遊郭に入った娘たちのこと。地方の貧しい農家などから買われてきた子どもです。前髪を結わずにそろえて切ってしまう髪型を「かぶろ」と言ったことから、そういう呼び名が生じたとも言われています。禿は姉女郎に仕えて身の回りの世話をするのが役割です。付き人ですので、あらゆる雑用をこなさなければなりません。部屋の掃除をしたり客に手紙を届けたり、太夫(たゆう)が外にでるときには同行します。

こうした身の周りの世話をする見返りとして、禿(かむろ)は姉女郎に食べさせてもらっています。禿は客を取るわけでもなく収入はありませんので、誰か養ってくれる人が必要なのです。また、彼女たちは姉女郎から教育を受けます。芸の稽古をつけてもらったり、客とのやり取りを見聞してたしなみを身につけたり、吉原のしきたりを覚えたりします。

セックステクニックについても教えてもらいます。どうすれば客を喜ばせることができるのか、どうじらせばいいのか、どう昇天させるのか。緊張などで客が勃たなくなったときにどう対処するのか、といったことも教わります。今なら、バイアグラを飲ませるという簡単な方法ですぐに解決ですが、江戸時代にはそうはいきません。遊女のテクニックで勃たせたのです。こうした教育を通じ、一人前の女郎に育っていきます。吉原には、他の女郎屋や遊郭にはない教育システムが確立しており、それが、340年つづいた最大最高の遊郭を支えていたのです。

【禿から新造に、新造から女郎に】

「禿」(かむろ)は15才になると「新造」(しんぞう)となります。「新造」とは、もともと嫁入り前の若い女性を指した言葉で、遊郭ではそれが客を取り始める前後の遊女の呼び名として使われていました。新造には振袖新造と留袖新造があり、振袖新造には才能が認められた者がなり、まだ客を取りません。将来の花魁(おいらん)候補であり、高級遊女となることが期待されます。花魁が道中を歩く際には振袖を着て同行し、17才ころまでエリートとしての教育を受けることになります。

留袖新造となるのは振袖になれなかった者で、徐々に客を取り始めます。遅くに吉原に入ったために、禿の機関が短かった者も留袖になりました。吉原では、15才デビューが一般的だったということになります。客を取る前の娘たちはみな処女だったのかというと、必ずしもそうではなかったようです。女衒(ぜげん)にうまくのせられたり、裏方男性といい仲になり処女を失う者も少なくはありませんでした。

この他にも、遊女を引退した女性がなる番頭新造というものもありました。もはや客を取ることはなく、年季を終えたけれども結婚したり妾になる予定がない女性が残って仕事をするためのポジションです。客と遊女の間の交渉事をしきったり、連絡係として茶屋とのやり取りをしたり、禿(かむろ)ではできない花魁の身の周りの世話をしたりします。

【特別なエリートもいた!?】

どんな業界にも若くして特別な才能を発揮する人がいるものです。遊郭にもそういう人はいて、ごくまれに、「引き込み新造」もしくは「引き込み禿(かむろ)」として特別扱いを受ける者もいました。特別に美しく品があり、将来確実に花魁になるほどの素養が認められた女性で、こうした人は姉女郎の付き人になるのではなく、楼主の下で特別なエリート教育をほどこされました。将来確実に大金を稼ぐ女郎になると見込まれるため、高額の教育投資をしたのです。

吉原の遊女たちは、このように数年間の特別養成コースを経て遊女になるため、他の娼館の女たちに比べて、レベルが高くなったのです。