働かない女は追い出された!?

江戸時代の農民は、高い税金のため苦しい生活をしていました。そもそも社会全体の生産性が現代に比べてはるかに低い上に、農業は「お天気次第」だったために、干ばつや冷夏の年には餓死者が出ることも少なくありません。少ない収入しかないのに、多くの納税を強いられていました。徳川家康は、農民に対する課税の基本的な考え方として、「村々の百姓どもが、死なないように、また生きないように考えて年貢を取立てるように」と指示したとされています。生きられるギリギリのラインで課税しろ、ということです。

その原則に基づいて、五公五民とか4公六民といった税率が課せられました。前者は所得税率が5割、後者は4割ということです。財政の厳しい藩では、八公二民というところもありました。現代の低所得者の税率は5%~10%程度で、超高所得者が50%程度ですので、江戸の税金がいかに高かったかということがわかります。こうした社会においては、皆が必死に働かなくてはなりません。女性の地位は低く、セックスの相手をして子どもをポンポンと生むのが役割でしたが、それだけでは済みません。次々と生んだ子どもの世話に加えて、家事全般に農業の手伝い、村の共同作業にも駆り出されます。こうしたものをちゃんとこなせない女は、離縁され捨てられて実家に戻されてしまいます。「働かない女は離縁して良い」というのが、村の常識だったのです。

【子孫を残すことが最重要だった!?】

今の世の中では、「子孫」という考え方が薄らいでいるようです。結婚をためらう若者が増え、子育てを面倒くさがったり、子どもを育てる自信がないという女性も増えました。自らのDNAを残して後世に伝えたい、といった願望が薄れてきているのでしょう。少なくも江戸時代においては、子孫を残すことが「家」における最も重要な課題でした。そのため「子作り」の作業、つまりセックスは大切な営みとなります。

長男は、勃起不全(ED)になってしまったらおしまいです。立たないモノの持ち主には家を継ぐ資格はありません。たちまちにして、次男が家督相続者となってしまいます。現代なら、バイアグラがありますので、そうした悲劇は起こらなくなりましたが、家父長制の時代においては、EDは「家」の問題だったのです。それは、女にも同じことが言えました。セックスが楽しくない女、子どもを生まない女には、妻の資格がないと考えられ、離縁の理由となりました。

【お試しセックスで、ダメならポイ捨て!?】

子どものできない妻には存在意義がないと考えられていた時代には、お試しセックスの習慣がありました。結婚が決まると、まずは相手の家に入ってセックスするのです。半年なり一年なり、毎日性生活に励んでみて、妊娠できるかどうか試します。もし、子どもができなければ、実家に返品です。姑と折り合いが悪いとか、セックスの相性が合わないといった要素も加味されます。夫を気持ちよくさせられるヴァギナでなければ、用なしと考えられていたのです。

子どものできない原因が男の側にあるということもあり得るのですが、江戸時代にはそんな医学知識がありませんので、「とにかく女が悪い」とされました。「穴さえ良ければ、子どもができる」と考えられていたのです。

ただ、捨てられた女はおしまいかと言えば、必ずしもそうではありません。1年間毎晩セックスしまくったと言っても、正式には未婚です。また次の男のもとへと嫁ぐチャンスはありました。また、夜這いの制度によって、若者たちのセックスのお相手を務めるため、性的欲求不満になることもありませんでした。

江戸時代、女性の役割はせに務めて子どもをもうけること。厳しい労働と子作りで一生を過ごしていたのです。