吉原はパリのディズニーランド!?

吉原には、男たちが性欲を満たす場所という側面の他に、男性も女性も楽しめる場所という側面もありました。もともと、遊郭といえでも、初対面では閨(ねや)をともにすることができないというしきたりのある場所。性欲ギラギラの街ではありません。ずっと上品な品格ある街でしたし、遊女を買わなくても見世物を見たり買い物をしたり、女性にとっても楽しみのある一種の観光地でもありました。

【文化の発信地だった吉原】

最初は上流武士たちの遊びの場であった遊郭も、次第に町人たちの間に広まり、江戸時代の後期になると、浮世絵や歌舞伎・浄瑠璃などの演劇でも取り上げられるようになり、文学作品にも描からるようになります。それにともなって、一種の観光地化していきます。地方の人たちにとっては、「江戸に行ったときには、ぜひ見てみたい」場所になります。たとえ、遊女を買わなくても吉原という街を散策し、「土産話を持ち帰りたい」という人が集まってきました。

江戸に暮らす町人たちにとっても、文化の発信拠点です。花魁(おいらん)の着る着物はファッションの参考となり、その髪型を真似する女性も増えてきます。吉原では、ファッションショーが行なわれているようなもの。最新の流行を取り入れるためには、まずは足を運ばなければならない場所となっていきました。現代のようなマスメディアのない時代において、吉原は一種の文化発信拠点。「今」を知るにはまず訪れるべきスポットとなったのです。

【イベントが行なわれ、花見もできた!?】

吉原には女郎屋が並んでいるだけではありませんでした。菓子屋や土産物屋が建ち並び、メインストリートでは、路上パフォーマンスも行なわれます。俄狂言(にわかきょうげん)や玉菊灯籠(たまぎくとうろう)などのイベントも行なわれ、そこに来れば、ただで江戸の文化にふれることができたのです。

1817年に山県鶴岡の商家の妻が関西への旅に出かけた際、江戸の吉原にも足を運んでいます。有閑マダム達にとっては、江戸に行けば「まず吉原」。念入りに化粧をし、めかしこんで、遊女たちのファッションをながめました。今で言えば、銀座でウィンドーショッピングを楽しむようなものでしょう。また、幕末の武士清川八郎は、老母をともなって吉原観光を楽しんでいます。その際、夜桜見物などもしました。

【二度とできない夢の街】

もう一度、吉原のようなユートピアをつくろうとしても、実現は不可能でしょう。倫理的な問題を除外しても、「粋」であることを尊ぶ精神をつくりあげることは、今の時代にはできません。物事に通じていないのに通じているふりをする「半可通」、人情を理解できない「野暮」が徹底的に嫌われた町。スケベ心丸出しで遊郭に入り浸っても相手にされないし、知ったかぶりも嫌われました。

「粋」は関西では「すい」と読み、「いき」と読むのは江戸流です。さまざまな地方から買われてきた遊女たちに出身地を尋ねたりするのは、野暮(やぼ)なこと。わざわざ悲しい過去を掘り下げる必要などないのです。遊女たちが「苦界」(くがい)にいることを理解した上で、粋に楽しむのが江戸っ子の魂であり人情でした。吉原の美意識は日本の文化の美しい側面であるものの、取り戻すことのできないユートピアです。