世界で例のない、身分制度を受け付けない社会

歴史的にみると、世界の多くの国が「封建制度」を経験して民主主義社会に移行してきています。わが国においても、室町時代以降、「将軍」を頂点とする封建社会ができあがり、江戸時代まで続きました。江戸においては、「士農工商」と呼ばれるような階級がしかれ、頂点に立つ武士は身分制度に君臨し、どこでもいばっていられる存在です。脇に刀を差すことがゆるされ、プライドと名誉のためにも刀を大切にし、常に身につけていました。

しかし、吉原遊郭においては、こうした武士の権威もプライドも通用しません。一旦吉原の門をくぐれば、一切の身分制度は消滅してしまうのです。それを守れない武士は「野暮」(やぼ)であり、遊女たちには野暮な客を相手にしない「権利」があり、たとえいくら金をつまれても気に染まぬ相手とはベッドを伴にしないという「意気地」(いきじ)が許されていました。

【吉原は「苦界」(くがい)だからこそのルール】

遊郭で働く遊女たちは、セックス大好き人間ばかり、というわけではありません。ほとんどの女性たちが、やむなく働く人たちです。主に農村部の貧しい家庭の娘が、家計を助けるために10才前後で売られてきています。女衒(ぜげん)と呼ばれる、いわば娼婦のスカウトマンにによって、地方都市から吉原に連れてこられました。中には「逃げ出したい」と考える娘、実際に逃亡をはかる遊女もいましたが、彼女たちは厳重に見張られています。廓(くるわ)の外には出ることはできません。

一定期間は男性たちのお相手をして親の借金を返すまでは、吉原という特別な街の外には一歩も出られなかったのです。一種の「幽閉」(ゆうへい)状態にあったわけで、享楽の世界にいながら、実際には「苦界」(くがい)にいるようなもの。苦界(くがい)とは、苦しみの絶えない人間界を指した仏教用語ですが、遊郭はしばしばそう例えられます。そうした場所で、遊女たちに明るく楽しく男性たちのお相手をさせつづけるためには、「ご褒美」がなければなりません。そのため、遊郭には特別な「おきて」がつくられました。どんなに偉い人も、吉原の中では「身分」を失うという決まり事です。

【厳格に定められた掟に従えない武士は「野暮」】

吉原遊郭には、服装や礼儀作法についての決まり事があり、この定めを忠実に守らなければなりませんでした。日ごろは必ず脇に刀を二本差して歩く武士たちも、吉原の門をくぐれば刀を預けなければなりません。時代劇などで「刀は武士の命」などというセリフを聞くことがありますが、その「命」を手放さなければ遊女に会うことはかなわなかったのです。さむらい風ふかせていばるような行為はバカにされ、たとえ大名であっても廓(くるわ)のルールに従わなければ追い出されてしまいます。ここでは、士農工商といった身分制度の「治外法権」が適用されていたのです。

お金さえあれば、身分に関係なく最高の性的接待をうけることができましたが、一方で、遊女たちには気に染まない客を断る権利が与えられていました。「意気地(いきじ)と張り」が許され、どんなに金をつまれても、肌を合わせたくない客とは閨(ねや)をともにしなくて良かったのです。それこそが、遊女たちにとっての「粋」(いき)でもありました。

吉原は、世界でもめずらしい、身分のないユートピアだったとも言えるでしょう。