ガイドブック「細身」「評判記」

260年間続いた江戸時代は、世界史的にみても、もっとも太平の世が長くつづいた時代です。古代から続く日本のさまざまな文化が、江戸期に大きく発展し花開いたのはこのためです。王侯貴族たちだけでなく、一般の庶民も文化をにない、さまざまなバリエーションが生まれました。吉原や歌舞伎などを支えたのも庶民で、江戸時代の出版物の多くが、庶民向けのガイドブックです。

【吉原のガイドブック「細身」】

「細身」とは字のごとく「細かく見る」もので、吉原などの色里の詳細を記した本です。遊女屋の名前と在籍する遊女の名前、価格、地図などのアクセス情報が説明されていて、「吉原初心者」向けにていねいに書かれたガイドブックです。

細身の起源は1641年に出版された「あづま物語」とされています。「あづま物語」は、吉原について書かれたものではなく、東北人が江戸に来て浅草などの名所見物をしたときの記録です。吉原も訪れて、遊郭の内部や遊女の評判も記してありました。元吉原について書かれた唯一の書とされています。細身が定着し始めたのは、1700年頃からで、「五葉松」というガイドブックが年1回発行されるようになりました。最も有名なのは、1700年代の後半から発行され始めた「吉原細見」で、春秋の年二回発行でした。

【クチコミサイトの先祖?「評判記」】

「評判記」はどんな遊女が人気があるのかなどの、風俗的側面から吉原を紹介した「クチコミ」本です。起源は、京の島原遊郭の各遊女の評判を記した「桃源集」で、1655年に発行されました。「八千代」をはじめ13人の「大夫」や、40人の遊女たちの、美貌などについて記されています。これ以降、遊女の名前を連ねて品定めをする評判記本が流行しました。

性の技法や勃起力を高める方法を指南した記事も載せられます。江戸時代の強精剤「地黄丸」やアダルトグッズ店「四つ目屋」の宣伝などもありました。細身や評判記は江戸の庶民だけでなく、参勤交代で上京した地方武士たちが利用したり、郷土への土産としても持ち帰りました。あらかじめ細身を熟読して吉原のしきたりを頭に入れ、花魁たちの姿を妄想して皆が吉原に集まったのでした。

吉原は一種の文化であり、しかも江戸を代表する文化のひとつでした。庶民にとっては、たとえ本の上だけであっても、吉原を知ることが「かっこいい」ことだったのでしょう。

江戸時代には吉原のガイドブックや評判サイトが流行し、庶民の間でもよく読まれていました。吉原は庶民文化の中核となっていました。