吉原遊女の文化史

吉原の仕組みから遊び方まで

「吉原」という名前を聞いて、ソープランド街を思い浮かべる人は多いでしょう。現在の台東区千束にある風俗街です。江戸時代には「吉原遊廓」と呼ばれ、幕府公認の唯一の遊廓として栄えました。当初の吉原は日本橋のはずれに置かれ、土地は軟弱な地盤で葦(アシ)の繁る湿地帯でした。「葦」は「ヨシ」とも呼びます。「アシ」は「悪し」につながるため音を嫌って、「良し」「吉」につながる「ヨシ」と発音するようになったそうです。

当初の吉原一帯は、葦の原っぱ(アシハラ)であったことから、縁起の良い呼び方をとって、「ヨシハラ」と呼ばれるようになり、「吉原」と名づけられたと言われています。もともとの未開拓地は、江戸時代には日本最大の歓楽街となりました。ただの性の楽園ではありません。ファッション・流行の発信地であり、男も女もあこがれる夢の街です。現代に例えるなら、ラスベガスのような輝きを放つリゾートだったでしょう。
参考サイト⇒吉原誕生と苦難の歴史

【けんらん豪華な歓楽街】

現代の吉原を知る人も知らない人も、当時の吉原を実際よりも小さく想像しているはずです。江戸時代には、街灯はありません。電気も通っていないので、夜になると町中が真っ暗になるのが普通です。江戸の中心部でも、星空はきれいに見えました。都心部ですら、夜遅い時間に女性がひとりで歩いていれば、何をされても仕方のないほど、暗く静かだったはずです。

そんな時代に、吉原だけは一晩中こうこうと明かりがともり、まぶしいほどに光り輝いていました。まっ暗な大都市の中に、ただ吉原だけが真昼のようだったわけです。そこは、当時の人々にとって憧れの歓楽街です。男性なら誰でも一生に一度は訪ねてみたいと願う場所。ただの遊廓ではありません。卑猥できたない町でもありません。おそらく、当時は世界最大級の色町で、もっとも美しく輝いた街だったはず。

「世の中は 暮れて郭(くるわ)は 昼となり」 と歌われるほど、はなやいだ街でした。

【ファッションの発信地だった吉原】

その頃の吉原は、ただのセックスをする場所ではありません。最高級の遊女は、政財界の大物しか相手にできないほどの高級遊女・花魁(おいらん)。特別扱いされるスターです。宝塚のトップのようなもので、男性からも女性からも憧れられる人。彼女らのスタイルは、街中の女性がまねします。いわばファッションリーダー。

そうした女性を相手にするには、男性も着飾ります。吉原に向かう男性は、粋な格好をして出かけます。ビバリーヒルズのパーティに行くようなもの。男も女も、吉原ではかっこよく決めていたわけです。

吉原は、ただの売春宿の集まりではありません。新宿歌舞伎町のようなものとも異なります。色町ではあるものの、時代の最先端のファッションタウン。最高に美しい歓楽街でした。それがどんな街だったのか、内側も含めて覗いてみましょう。

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